ごめんねっ、吉川君
―高田・吉川―
A&Kカンパニーは能力主義の会社である。
出来る者がそのポジションの仕事をする。
しかしその階層において、会社の基礎に功績のあった数名の者以外役職名はない。
現時点における役職名は、社長、専務、常務、グランシェフの4職制(幹部)となっている。
中でもグランシェフは、フランスレストランを母体とするA&Kでは幹部級に匹敵する格付けとなっている。
副社長は役職としてはあるが、現在のところ適任者がおらず空席となっている。
「・・・で、当日の出席者が社長、専務、常務、グランシェフと・・・明良君・・・ん・・んっ・・・よし!出来た!
これで送信と・・・。よっしかわくんっ!いま、君のPCに送ったから。今度は早く出来たよ!」
いつもは橋本や長尾がいるのでこそっと送るのだが、今日はみんなそれぞれの所用で出掛けている。
秘書室は高田、吉川、遼二の三人だけだった。
「・・・早く出来たのなら、自分でチェックしたらどうですか?」
吉川は自分のPCを見ようともせず、高田の言葉を押し返した。
「もうっ・・・吉川君、まだ怒ってんの?だからぁ、ごめんって謝ったじゃない。ねっ?ごめんね」
ぷぅっと頬を膨らます吉川と、席を立ってその前で手を合わせて平謝りする高田。
再三見る光景に、横の遼二もさして気に留めない。
「今度はちゃんと確認したから大丈夫だよ。明日のお昼は営業部の真紀ちゃんたちのグループだから」
手を合わせたまま、高田の首がコクッと傾いた。
「・・・・・・どうだか。この前なんて企画部の新人の子たちって言っていたくせに、松本女史だったじゃないですか」
「だから、それはぁ・・・曜日を勘違いしちゃって・・・」
「あの・・・ちょっと待ってください。高田さん、今営業部の真紀ちゃんって言いませんでしたか」
さして気に留めなかったはずの遼二が、揉める二人の間に割って入ってきた。
「杉野君は関係ないんだから、黙っててくれない?」
長い睫毛を瞬かせながら迷惑そうに言う高田だが、関係ないどころか自分の彼女が話題の中心になっている遼二としては、黙っていられるわけがない。
「高田さん!真紀は俺の彼女なんですけど!」
「知ってるってば、前に聞いたじゃない。君まで何怒ってるのさ。真紀ちゃんとはランチ友達だよ」
高田の友達としての範囲はとても広いようだった。あまり人の彼女でもこだわりはない。
「寝取ったわけでもないのに、あんまり了見の狭いこと言ってたら、しまいに振られちゃうよ」
「それは僕も高田さんの意見に賛成だな。杉野君は彼女に対してやきもちが過ぎるよ」
吉川も女性に関してはオープンだった。
遼二とは一度、昼のランチで真紀を挟み真っ向対したことがあった。
その後に来た長尾と、人の彼女の取り合いからとんでもない大騒ぎになったのだった。
「えぇっ・・!?だけど普通だったら、自分の彼女が他の男といるのイヤじゃないですか。
高田さんも吉川さんも、彼女いないわけじゃないんでしょう・・・」
「ん〜・・・ひとりに決められない。みんな可愛いから。吉川君は?」
「僕は、この娘(こ)って思う女性がまだいない。みんな可愛いから」
「長尾さんや進藤さんも同じこと言ってたよね」
遼二はなんとなく、秘書課が他の部課の男性社員からホストクラブと陰口を叩かれているのがわかる気がした。
「あの・・・とにかく、その'みんな可愛い'から真紀だけ外しておいて下さい。真紀には俺から言っておきますから」
「真紀ちゃんとは、社内事情で話がすっごく弾むのになぁ」
社内事情=A&Kワイドショーネタであろうことは間違いない。
それも高田の口ぶりからすると、どうやら一緒に食事をしたのは一度や二度のことではないようだった。
前に何度か注意して少しは効いているとばかり思っていたが、遼二の知らないところで相変わらず真紀の社内詮索は続いていた。
―あいつ、お仕置きしてやる・・・―
以前真紀に言って、鼻で笑われた言葉だ。果たして真紀は今度も鼻で笑えるのか。
遼二を見くびっていたつけが、思わぬところで露見してしまった。
遼二はぐっと拳を握り締めた。
「ところで、さっきから企画部とか松本女史とか営業部とか言ってますけど・・・。
ひょっとしてそれ、みなさんランチ友達なんですか?」
「うん、指名が掛かるんだ。あれっ、杉野君、まだ掛かったことないの」
「しっ・・・指名!?ホストクラブじゃあるまいし!」
陰口どころか、ホストクラブの何ものでもない。
「やだなぁ、別に貢いでもらっているわけじゃないんだから」
「失敬な奴だな!高田さんたちと一緒にするな!僕は健全にランチを共にしているだけだ!」
遼二の言葉にのほほんと笑う高田と、真剣な顔で怒る吉川。
同時の反応はあまりにも二人らしかった。
A&Kの昼休みは1時間30分ある。
社員レストランは喫茶室まであり、メニューについても社員として自社の味を知っておくことを前提としているため、系列のレストランと何ら変わりはない。
しいて違いがあるとすればシェフが社員より格上のため、食事をしている社員は客扱いではないということぐらいだった。
お残しついては非常に厳しい尋問が入るので、ほとんどの場合グループで食べることが多い。
お残しには厳しいシェフも
「ピーマン食べてくれない?」
「OK、まかせて。セロリ、誰かお願い!」
このくらいのズルは見逃しているので、A&K社員レストランは50階の眺望を背景に、常に楽しく食事を摂る社員たちの声で包まれている。
秘書課の昼休憩は時間差で交代する。
高田や吉川の昼は、ほとんど各部課の女子たちとのランチ予定で埋まっている。
彼らにとってはみんな可愛いのだが、やはりそれにも好みはある。
高田は吉川の好みそうなグループとのランチタイムを仕事を見てもらう条件と引き換えに譲るのだが、けっこう部課間違いや曜日の勘違いが多かった。
その度に吉川はむくれるのだが、条件を呑む方も呑む方なのでお互い様としか言いようがない。
「もぅ、杉野君が口を挟むからちっとも話が前に進まないじゃない。
真紀ちゃんは杉野君のやきもちでどうなるかわからないけど、他の子たちは大丈夫だから。ねっ、だから頼むよ」
謝るときもお願いするときも、コクッと首を傾けながら手を合わせる高田。
何だかんだ言っても、結局は高田に押し切られる吉川だった。
吉川は仕方なく、しかし内心は明日の昼を楽しみに、高田から送られて来たファイルを開けた。
「・・・高田さん、これはプレイジングワールドの試作発表会出席者問い合わせに対する、返信の書類ですよね」
「そうだけどぉ」
既に高田は他人事の返事になっている。
「どうして役職のところが五名なんです?」
「・・・?どうしてって、明良君もVIP席じゃない」
プレイジングワールドはA&Kと同じビルに入っているドライビングソフトのゲーム会社で、バイクのプロチームも持っている。
フランスレストランのA&Kとゲームソフト会社のプレイジングワールド。
一見何の繋がりもなさそうだが、同社バイクプロチームに資金提供(スポンサー)しているのがA&Kなのである。
プレイジングワールド今秋発売予定のドライビングソフトの試作発表会には、A&Kの代表として明良も出席者のひとりに加えられていた。
「明良君はいいんです、決定事項ですから。グランシェフが出席することになったなんて、一言も聞いていませんよ」
「あっ・・・ほんとだ。ついうっかり・・・」
そこまで言われて、高田はやっと自分のPCを見た。
グランシェフも管理職ではあるが会社全体からすると専門職に位置するため、今回のように全く職種の異なった企業についてはノータッチの役職となる。
「杉野君でも知ってますよ」
聞いていたわけでもないが遼二の席は吉川の隣、高田の前なので、何について話しているのかくらいはわかった。
「だいたいはわかりますけど、判断の難しい企業はありますね」
遼二は高田の手前、全面的に吉川に同調するのも憚られた。
どちらにも当たり障りのないよう無難に答えたつもりだった。
「そんなの当たり前だろう。それをきちんと確認整理しておくのが仕事なんじゃないか。
整理出来ていないから、高田さんみたいな間違いをするんだ」
吉川はそんな遼二の気遣いさえ、仕事の上では容赦しなかった。
「ひっど〜い!吉川君。だからちょっとうっかりしただけだって・・・・・あのっ・・・」
前二人の表情で異変を背後に感じ取った高田だった。言葉が最後まで続かない。
「誰が酷いって?」
「し・し・・進藤さん!!どうしていつも社長室の方からっ!しかも音もなく!」
「音を立てないのはマナーだよ。で、誰が酷いって?高田君、君だね」
訊ねる尻から決め付けに入る。
「どうして僕が酷いんですか!!」
一応の抵抗を見せるものの、高田は身に覚えがあるので微妙に尻を浮かせ逃げる体勢を取った。
「君、三つも禁句を言ってなかったっけ。'だから''ちょっと''うっかり'」
逃がさないよといわんばかりに進藤は高田の横、長尾のデスクに座った。
遼二は緊迫した空気を自分の後ろに感じながら、三大ご法度の他にまだ禁句があるのか!?と、進藤のほとんど難癖を真剣に聞いていた。
「まぁ・・いいよ。ところでプレイジングワールドの試写会出席の書類出来てるみたいだね。プリントアウトして」
「えっ!?まだっ!まだ出来てません!!期限は明後日だったじゃないですか!」
「明後日だって出来てるんならいいじゃない。それ、そうでしょ」
進藤は目ざとかった。高田の開けっ放しにしているPC画面をちゃんと見ていた。
「ひっ!やっ・・これまだ途中・・・チェックしていないので・・・」
急いで画面を閉めるが、かつてそんな言い訳が通用したことがないのは高田が一番良く知っている。
「いつも言ってるのにねぇ。誰が見ているかわからないから、PC画面の開けっ放しは気を付けるようにって。
いいからプリントアウトして。案外その中にさっきの禁句が隠れてるかもね」
やはり通用しなかった。それどころか完全に見抜かれている。
高田、またしても絶体絶命。
「高田さん、さっきチェック用にプリントアウトしたのがあるじゃないですか。これでいいんじゃないですか」
「あっ・・・!?」
吉川がプリンターから書類を高田に手渡した。もちろんグランシェフの名前は綺麗に消えている。
「進藤さん!!出来てますっ!!」
涙目で高田が書類を突き出した。
「・・・・・・・確かに。それじゃ僕は今から社長に明良君の分も含めてもう一度確認取るから。
高田君は専務と常務に確認を取って来て」
「はい!」
ひとつ仕事が済めばすぐ次の仕事に取り掛かる。切り換えは早い。
高田は進藤より一足早く秘書室を出た。
進藤はまた社長室に戻る。戻り際、吉川の席に立ち寄った。
「吉川君」
「はいっ!」
改めて進藤から名前を呼ばれた吉川は、起立で立ち上がった。
「君は、いい子だね」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた吉川は、真っ赤な顔でしかしいつものような饒舌さはなかった。
「そんな・・・子供みたいな・・やめて下さい・・・」
進藤は高田には厳しいが、吉川には比較的甘かった。
その反対に、長尾は吉川には厳しいが高田には甘い。
上手く出来ている。
「高田さん、良かったですね。だけど吉川さん、さすがです」
進藤も社長室に戻って、吉川と二人きりになったところで遼二が感心したように声を掛けた。
「・・・僕がさせてもらえるのは、せいぜい誤字脱字の修正とうっかりミスを見つけることくらいさ」
「吉川さん・・・」
「高田さんは、ああ見えても書類作成のセンスは抜群なんだ。進藤さんに認められているから任せてもらえるんだよ。
仕事は出来る者がさせてもらえるんだ。覚えておけよ」
子供みたいに頭を撫でられても、吉川は遼二にとって立派な先輩だった。
吉川に限らず、秘書課の先輩たちにいつか追いつくことが出来るのか。
遼二はこの先輩たちの下で、仕事の出来る喜びをはじめて実感した。
翌日―――。
「もうっ・・・吉川君、まだ怒ってんの?だからぁ、ごめんって謝ったじゃない。ねっ?ごめんね」
ぷぅっと頬を膨らます吉川と、席を立ってその前で手を合わせて平謝りする高田。
昨日とそっくり同じ光景が繰り返されていた。
「何かね、何かぁ杉野君のやきもちのせいで真紀ちゃんが外れちゃったから、その時間は代わりに松本女史になったんだって・・・」
「ちょっと!高田さん、俺のせいにしないで下さい!」
「君のせいだ!」
「もう金輪際!高田さんの面倒なんて見ませんからっ!」
『性懲りも無く』というのはこのことを言う。
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